平出和也と谷口けいは登山パートナーだが結婚は?情熱大陸にカメラマンとして出演!?

    平出和也(ひらいでかずや)さんはアルパインクライマーとしてでだけではなく山岳カメラマンとしても活躍しています。TBS系の「クレイジージャーニー」では超絶無謀なアルパインクライマーとして紹介されていますが、一体どんな人なのでしょうか?今回は、数々の苦難を乗り越えていまも山を登り続ける平出和也さんについてまとめてみました。

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    平出和也さんのプロフィール

    登山は、日本テレビ系の「世界の果てまでイッテQ!」のイモトアヤコさんがエベレストの登頂を断念するなど過酷で危険と隣り合わせです。

    普通の登山ですら難しいのに、中にはあえて未踏ルートや氷壁を登るルートを選択する登山家がいて、彼らはアルパインクライマーと呼ばれています。

    そんなアルパインクライマーとして世界の山々を登り続けているという平出和也さんですが、一体どんな人なのでしょうか?

    まずは、プロフィールから見ていきましょう。

    平出和也

    出典:http://www.asahi.com/

    平出 和也(ひらいでかずや)
    生年月日:1979年5月25日
    年齢:37歳
    出身地:長野県諏訪郡富士見町
    出身校:東海大学
    職業:山岳ガイド、山岳カメラマン
    身長:169 cm
    参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/平出和也

    平出和也さんは、1979年生まれの37歳。

    長野県の出身で高校は東海大学第三高等学校。高校時代は陸上部で競歩の選手だったそうです。

    全国大会で6位に入賞するなど活躍し、東海大学に進学してからも競歩を続けて日本選手権では10位に入ったこともあるそうです。

    大学2年まで競歩をやっていたのですが、3年に上がると陸上はやめて山岳部に入ります。

    この時の決断が、平出和也さんのその後の人生に大きな影響を与えます。

    平出和也さんの経歴は?

    平出和也(ひらいでかずや)さんは、高校と大学1〜2年の時は競歩の選手だったということで、その頃に鍛えたスタミナが登山にも役立っているのかもしれません。

    大学3年生の2000年から本格的に登山を始めた平出和也さんですが、翌年の2001年には、未踏峰クーラカンリ東峰の登攀を成功させて、いきなり日本スポーツ賞を受賞しています。

    そして、その次の年には、登山を初めてたった2年でヒマラヤ遠征にも参加したそうです。

    平出和也さんは、ICI石井スポーツに所属していてアルパインクライマーとしてこれまでに数々の山に登っていますが、山岳カメラマンとしても活躍しているそうです。

    2010年には、TBS系の「情熱大陸」で密着取材を受けることになったサバイバル登山家の服部文祥さんが、番組側から山を登る際に同行取材を了承する条件として、登山中に足手まといにならないカメラマンであることという条件を出したため、アルパインクライマーであり、山岳カメラマンでもある平出和也さんが同行取材を担当することになったそうです。

    そして、なんと「情熱大陸」のカメラマンとして、服部文祥さんの登山に同行している時に服部文祥さんが墜落事故を起こしてしまいます。

    服部文祥さんは肋骨を3本も折る重傷を負ってしまったのですが、なんとか平出和也さんが救出。

    それによって服部文祥さんは一命を取り留めました。

    後に、服部文祥さんは、あの時のカメラマンがアルパインクライマーとしても登山経験が豊富な平出和也さんでなければどうなっていたか分からなかったと講演などで話しているそうです。

    平出和也さんのパートナーだった谷口けいさん

    平出和也(ひらいでかずや)さんは、2008年10月にインドのカメット峰(7,756m)南東壁未踏ルートの登攀に初めて成功したのですが、その時に一緒に登攀していたのが、登山パートナーの谷口けいさん。

    谷口けいさんは、平出和也さんの登山パートナーで結婚相手ではないようです。

    平出和也さんと谷口けいさんは、カメット峰の未踏ルートの登攀というこの時の功績によって「日本スポーツ賞」と「ピオレドール賞」という登山家に贈られる国際的な賞を日本人として初受賞するなど、話題になりました。

    その他にも平出和也さんはパートナーの谷口けいさんと以下のような山に挑戦しています。

    2004年7月 スパンティーク(北西稜、未踏ルート、初登頂) 7027m パキスタン
    2004年8月 ライラピーク(東壁、未踏ルート、初登頂) 6200m パキスタン
    2005年8月 ムスターグアタ(東稜、登頂、山頂からスキー滑降) 7564m 中国新疆ウイグル自治区
    2005年10月 シブリン(未踏ルート、初登攀) 6543m インド
    2008年10月 カメット峰(南東壁、未踏ルート、初登攀) 7756m インド
    2009年10月 ガウリシャンカール(途中断念) 7134m ネパール
    2011年11月 ナムナニ(峰、南壁、未踏ルート、初登攀、南峰から主峰、北西面へ初縦走) 7694m チベット
    2013年7月 ディラン(西稜、登頂) 7266m
    2013年8月 シスパーレ(南西壁、敗退)

    このように、平出和也さんは登山パートナーの谷口けいさんと数々の山に挑戦してきました。

    しかし、2015年12月に他の男性4人と北海道の黒岳の北壁を登攀中に滑落して43歳の若さで亡くなったそうです。

    死因は脳挫傷で、滑落の際に頭と首の骨を骨折していたそうです。

    救助ヘリコプターの救助員が亡くなる事故も

    2015年に登山パートナーだった谷口けいさんを亡くした平出和也(ひらいでかずや)さんですが、2010年には、救助に来たヘリコプターの救助隊員が亡くなる事故も経験しています。

    2010年の7月に、ディビット・ゲットラーと2人でヒマラヤ山脈のアマ・ダブラムで未踏ルートに挑戦した際、下降中に身動きが取れなくなった平出和也さんは、ヘリコプターに救助を要請。

    最初に、ディビット・ゲットラーを助け出したヘリコプターが平出和也さんを助けに戻った際に氷壁に激突し墜落。

    墜落したヘリコプターに乗っていた救助隊員の2名が亡くなったことで、現地のネパール軍は平出和也さんの救出を拒否します。

    ネパール軍はパイロットの命を守るための判断だったのでしょうが、切り立った山に取り残された平出和也さんは、一人で救助を待っています。

    そこで、平出和也さんの救助に向かったのは、ネパール軍ではなく、亡くなったヘリコプターのパイロットの友人のパイロットだったそうです。

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    まとめ

    常に危険と隣り合わせのアルパインクライマー。

    平出和也(ひらいでかずや)さんは、実際に登山パートナーだった谷口けいさんや救助にきたヘリコプターの救助隊員が亡くなるという経験をしています。

    そんな経験をしているにも関わらず、いまも山に挑戦し続けている平出和也さん。

    一体何が彼をそこまでストイックに挑戦させているのか気になります。

    平出和也さんは、TBS系の「クレイジージャーニー」に出演するそうなので、そのあたりの話についても聞けるかもしれません。

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