破斯清通(はしのきよみち)ペルシャ人が奈良時代の平城京の役人だった理由は?

    平城京

    破斯清通(はしのきよみち)は、奈良時代の平城京にいたと言われているというペルシャ人の役人。

    この破斯清通の存在は、最近の調査で判明したことのようですが、なぜ奈良時代の平城京にペルシャ人の役人がいたのでしょうか?

    また、破斯清通がどんな人物だったのかも気になりますね〜

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    破斯清通(はしのきよみち)は奈良時代の平城京にいたペルシャ人?

    奈良時代と聞くと、学生の頃に平城京と平安京の年号がごっちゃになって覚えるのに苦労したことを思い出します。

    「鳴くようぐいす平安京」の「なくよ」で平安京は794年。

    「なんと立派な平城京」の「なんと」で平城京は710年。

    最近は、「納豆ネバネバ平城京」の「なっとう=710年」と覚える場合もあるそうですね〜。

    平城京があったのは710年なので、今から1300年以上前。

    そんな昔の奈良時代の平城京に、ペルシャ人の役人がいたのではと言われているそうです。

    名前は、破斯清通(はしのきよみち)。

    「破斯」と書いて「はしの」と読むんですね〜。

    最近の若い子の名前も当て字が多くて読めなかったりしますが、昔の人の名前もフリガナがないと読めませんね〜。

    この破斯清通という人物がなぜペルシャ人なのではと言われているかというと、破斯清通の名前に関係があるようです。

    破斯清通の名字に使われている漢字の「破斯」がペルシャという意味の「波斯」と同じ音ということで、意味も一緒だろうと考えられているそうです。

    要は、名前にペルシャという意味があるから破斯清通はペルシャ人だったのだろうと推測されているんだとか。

    えっ、それだけ?

    しかも、ペルシャという意味の「波斯」が名前にある訳ではなく、「波斯」と同じ音の漢字があるだけということで、本当なの?と思ってしまいますが・・・。

    実は、この破斯清通がペルシャ人というのは、昨年発表されていて新聞などでも「平城京にペルシャ人の役人がいた」と取り上げられたようです。

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    ペルシャ人と言われている破斯清通の存在が発見された経緯は?

    破斯清通(はしのきよみち)が奈良時代の平城京にいたペルシャ人の役人だったと言われていますが、どのような経緯で破斯清通の存在が発見されたのでしょうか?

    破斯清通の名前は、奈良県奈良市の平城宮跡から発見された木簡に記載されていました。

    この地域は、「式部省関連地域」と呼ばれていて1965年から1966年にかけて大規模な発掘調査が行われたそうです。

    この時の発掘調査では1万点以上の木簡が発見され、破斯清通の名前があった木簡もこの時に発見されました。

    破斯清通

    出典:http://www.sankei.com/

    しかし、発見された当初は腐敗がひどく、読めない箇所も多く「清通」は読めたそうですが「破斯」の箇所は読みとることはできませんでした。

    全ての文字が解読されないまま長い月日が流れましたが、最近になって奈良文化財研究所が赤外線を使って文字を読み取る調査を開始。

    その結果、2016年の8月にこの木簡も赤外線を使った読み取りが行われて名字が「破斯」であることが判明しました。

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    木簡に書かれた文字の意味は?

    2016年に奈良文化財研究所が赤外線を使って木簡を解読し、破斯清通(はしのきよみち)というペルシャ人の役人が奈良時代の平城京にいたと言われていますが、木簡にはどんな内容がかかれていたのでしょうか?

    赤外線によって明らかになった木簡の全文も公表されているので、木簡に記載されていた文の意味を見ていきましょう。

    大学寮解 申宿直官人事 員外大属 破斯清通 天平神護元年
    引用:http://www.yomiuri.co.jp/

    それぞれの漢字の意味を簡単にまとめると

    • 「大学寮」は大学にある寮ではなく官僚を養成する教育機関
    • 「解」は、上司への報告であるという意味
    • 「申宿直官人事」は、宿直の担当者についての報告
    • 「員外大属」は、役職名
    • 「破斯清通」は、ペルシャ人と言われている人物の名前
    • 「天平神護元年」は、年号で765年

    となり、この木簡に記載されていたのは、破斯清通の勤務記録なのではと考えられているようです。

    破斯清通がペルシャ人であることを裏付ける内容なのかと思ったのですがそうではなく、破斯清通の勤務記録。

    やはり、破斯清通がペルシャ人だったというのは名前にある「破斯」がペルシャという意味の「波斯」と同じ音であるということだけのようです。

    破斯清通がペルシャ人だったというのには、少し根拠が少ない気もしますが、奈良時代にペルシャ人が来日していたことは、他の文献にも書かれているようです。

    また、同じ時代の中国にペルシャ人の役人がいたことから奈良時代の平城京にもペルシャ人の役人がいた可能性はあると考えられているそうです。

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    ペルシャ人の破斯清通が奈良時代の平城京で役人となった理由は?

    破斯清通(はしのきよみち)というペルシャ人が奈良時代の平城京で外国人ながら役人として仕えていた理由はいまのところ明らかになっていないようです。

    歴史の専門家の中には、破斯清通が本当にペルシャ人ということであれば、国際的な知識が重宝され、役人として登用されたのではという見方をする人もいるようです。

    破斯清通が本当にペルシャ人であればどういった経緯で日本に来たのかも気になりますね〜。

    6月17日に放送されるTBS系の「世界ふしぎ発見!」でも破斯清通が取り上げられるそうなので、その辺りについても分かるかもしれません。

    放送を楽しみにしたいと思います。

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